大高酵素物語

~大地に根ざした男 大高登のまなざし~

生命あるものは、生命あるものを
食べなければならない。

これは大高酵素の創始者大高登の残した言葉です。 この言葉にある思いはひとつの思想です。 北海道の先住民族であるアイヌの食文化、さらに古くは、北方民族の食文化などとも重なりあうものです。

大高登は植物や自然についてある種の狂気とも言える独自の観察眼と論理を持った人であった。それには母親の影響が大であった。母親は幾種かの野草が病気治療に効くことをアイヌの人々から教えてもらっていた。風邪をひいたときには、キョウブキの芽を煎じ、小さな傷ならニラを煎じたものをつけ、麻疹のときの解熱には乾燥させたミミズを煎じ飲ませた。その知識は豊富で、決して生半可なものではなかった。登の薬草の知識は母親譲り、ひいてはアイヌの先人の植物についての知識を自ら実践して学びとっていたといえるだろう。

また、母親からは土の恩というものをよく聞かされていた。「土はすべての生命を育むところの、その名にふさわしい『母なる大地』、そして植物と動物にとって、とりわけ人間にかけがえのないものである」

大高登はその教えをしっかりと守り、「土から学ぶ」ことを実践した「土の子」だった。

馬を動力としてスキを使って畑をたがやす登 登は17歳をむかえたばかりの1930年(昭和5年)、堆肥からヒントを得て新たな肥料をつくり出そうと取り組んでいた。ヨモギやオオバコといった野草類と、リンゴやミカンなどの果実類を組み合わせてカメの中に入れ、それを土中に埋めて醗酵させた。この「植物を醗酵させた液体」こそが、おそらく日本で初めてつくられた酵素飲料の基になったのであろう。

1935年(昭和10年)になると、
「大高酵素研究会」を岩内郡発足村の
自宅に設立。

今でこそ酵素飲料と言われるものが世に広く知られ、その有益性が認められるようになったが、当時は誰も酵素(エンザイム)が何たるかは知らない。登は、酵素(エンザイム)に取り憑かれ、酵素栄養学の原点を世に説き、究極の製品「植物エキス醗酵飲料」(通称「大高酵素飲料」)を造ることに没頭した。

「醗酵の源である酵素を知り、育てるためには、土から学ぶ、それも北海道という独特の風土のなかから学びとる」。また、「酵素飲料は北海道という地があってこそ生まれてきた」。そう登は考えた。同時に登は、食が命をつたえるという自然界の営みを知ることが必要なことだとも考えていた。

「植物という生物は、生物を食べてはいない。大自然の無機という恵みを、光合成のもとに、炭水化物、脂肪、タンパク質といった有機につくりかえているんだ。大地に眠っている米や肉や油をわれわれに提供してくれている。その植物を動物が食べ、命をつないでいる。食が命をつたえるということだ。生物とは、親から子どもに生命を、食べ物に託して伝えるものなのだ」。

自然の恵みに感謝する心はほかの誰もまねすることができないほど深い人だった。それは自然の摂理に従って生きていくことに他ならない。

食生活がもっとも大事であるとの信念から、健康講演会を全国で展開した 登は食事のあり方がいかに大事であるかという食生活改善をメインテーマに、健康講演会を積極的に行い、全国をまわって歩いた。講演会の会場では、酵素の販売や説明はいっさい行なわず、「健康運動の根幹は生命の認識からはじまり、植物(親)は発芽(子)のために種子(生命と栄養)を残す。これが生命の伝わり方で、人も同じ。ゆえに食生活がもっとも大事である」と説いた。登の志を全面に押し出した熱気を帯びた講演だった。今日でいう「食育活動」そのものである。母からの教育が「母なる大地の母乳のごとく」の植物エキス醗酵飲料を生み出すことにつながっている。登にとっては当然「母親の真心をこめた手料理」こそが、「命は食に託す」ことを実現できる最高の現場に他ならなかった。

そして、登の発想は、絶えず「ものをそばにおいて見つづける」ことから始まっている。「植物エキス醗酵飲料」の誕生も然り。狂気と紙一重といわれるほどに自然に身をおき、観察する事で、その真実が何かを学びとった結果が、「大高酵素」である。

「ありがとう」。
大地に根ざした男 大高登は
自然に感謝することを忘れなかった。

「われわれは自然によって生かされているのだ。生命のあるものは、生命力のある食べ物を食べてその命を養わなければならないし、また養われている」というのが大高登の口癖だった。

「人も植物も動物も生き物すべては自然という環境によって生かされている。生きるのも死ぬのも、すべて自然なんだ。生き物は、いずれ死を迎えて自然に還る。植物も動物も微生物もみな同じである。生き物は、互いに異なった生命を食べている。人間は野の草や動物や微生物の生命を食べて自己の生命を養っている。他の生命を食べるのだから、そこに感謝の気持ちがなければならない」。

「生きているものには、生命活動があり、生命現象があり、それを支えているのが酵素だ。そのためには、『食』にある酵素の働きを取り入れた日本人の伝統的食習慣を守らなければならない」。

小樽の温室で植物の手入れをする登。こは登の「発想の原点」のひとつだ 登の「生命は食にあり」とする基本的な認識と感謝の気持ち、そして「食生活の大切さと人間そのものの健康」へのまなざしは、一生涯自然に身をおいた「土の子」大高登が持ち続けたものだった。

草創期から自然循環型生産技術を
駆使してきました。

伊達市は北海道にあって、北の湘南といわれる温暖な気候で、太陽があたる南向きの大地は豊かであり、また山並みから湧き出る水も豊富なことから、野菜の生育には最適の地とされてきました。大高酵素にとって最も必要な植物原料の生産基地であり、また生き物を育むのに最適な土地というこの天の利・地の利を活かすために、登はこの地を選びました。自然の生命力を見つめ続けて体得した知識と経験の集大成が、伊達工場に他なりませんでした。

1972年(昭和47年)に着工した伊達工場の床そのものは、強度や衛生上の問題でコンクリートになっていますが、その床下は肥沃な大地につながっています。工場の床のいたる所に空気孔が設けられ、その空気孔から大地の息吹が流れてきます。例えば、暗室のような室内で栽培されているモヤシの根は、その大地の土を求めるように自らを伸ばしていきます。伊達工場の内の醗酵微生物にも、その影響は計りしれないものがあります。

大高酵素では、工場周囲に広がる自社農園を含めた近郊で収穫される原料野菜により、年間の約80%がまかなわれています。仕込みが行われ原料植物から抽出されたエキスは、工場のなかにも四季温度を取り入れた抽出室や、人間の胃腸の様な生産工程である醗酵熟成室を経て、大切に育てられ、あるがままの自然が濃縮された製品になります。

伊達で採れる食材(生命)を大切に考える「身土不二」の教えと、自然まるごとを無駄なく使う実践により、人から動物、動物から土、土から植物へとつながる、自然循環型の生産サイクルの実現が可能と考えられます。そこで伊達工場では、植物エキス抽出後の野菜や果物などは、動物用の飼料として、さらに不要な切りくずなどの部分は、堆肥として再生され大地にお返ししています。

大高酵素は、あくまでも化学薬品や科学技術に頼らず、自然の営みをそのまま利用する生産サイクルだからこそ、未来を破壊することなく、未来に渡って継承し続けることが可能な、伝統的生産技術に他ならないのです。

自然から学び、自然を全て活用した自然循環型生産技術は、90年間継承しています。

※参考書籍:吉津實著「大高登伝大地を喰んだ男」

大高酵素は自然循環型生産技術を守るために微生物のつながりを考えています。
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